自閉症の次女の事




 次女は1994年生まれ。2017現在23歳。
 自閉症なのだ。専門家(というか診断してくれた医者)は、「典型的な」というような言い方をしていたらしいが、僕から見ると自閉症というよりは言語能力だけが極端に低い、知恵おくれ、だと思う。自閉症スペクトラムという言葉があるように、幅広い症状のどこかにはまっているのだろう。
 こうやって改めてここに置く事にしたので、生い立ちから整理して書くべきなのかもしれないが、それだけの気持ちがない。今まで書いた事を切り貼りして置いておき、できたら少しずつ整理しようと思う。



「レインマン」のタイトルバック

  映画「レインマン」のタイトルバック(最後の方)が、いかにも自閉症の人が撮っ た写真という感じで、すごい。たしかにこんな写真を撮るだろうなあ、と思わせる。
   娘が写真を取り始めた。これがまたいかにも自閉症というもの、変だ(なんて言ってはいけないのだが、、、変じゃおかしいなら、「感慨深い」)。この写真は、他人が撮ってるのをそのまま真似するので、レンズが自分の方を向いている。(^^;)

(2004/2/11)


 こちらも自分で撮影したやつだったかな? 



こちらは譜面台を含むオブジェ



 



スケートで次女が骨折

 日曜日に家族でスケートに行ったのだが、次女が腕を骨折してしまった。  なにしろスピードが好きで、怖いもの知らずだから、見ていてヒヤヒヤしていたの だが、倒れたときは一人で立っているときだったし、それほどスピードも出ていなかっ たのだが、打ち所が悪いときは悪いもので、肘から落ちてしまった。今から思っても 防ぎようがなかったよなあ、と思ったり、それでもずっとつかまえておけなかったか なあと思ったり、、、  10歳で骨折経験2回かあ、と可哀想になる。しばらく不自由な生活だなあ。
(2004/3/2)





骨折次女(自閉症)シャンプー大作戦

 骨折して、風呂に入れないからか、体がかゆいらしい。「かゆいの?」と聞いて掻いてやると「かゆいの?」とオウム返しで掻けと要求。頭もかゆそうだ。妻と作戦会議をする。

「どうやろうか?」
「仰向けにして美容院のように洗えればいいんだけど。」
「でもそれ、怖いんじゃない?医者に行ったって「動物病院の前の犬」状態だったらしいし、結局仰向けでレントゲン、撮れなかったんでしょう?」
「そうなんだよねえ」
「じゃあとりあえず水を使わないシャンプー(先日買ってきた)を使って、風呂場でシャンプーだけ練習というのは?」
「それより、パパが練習台になるってのは?まずパパが風呂場のすのこに寝て、私が洗ってやる。それを見せて次は子どもを洗う。」
「よし、それじゃあ、そうしてみよう」
「おーい。頭洗う?」
「洗う」(オウム返し)
「じゃあ、おいで。まだだよ。順番だからね」と僕のを見せる。実際は見るとはなしに見て、あっちに行ってまた帰ってきたりして、気にしてる。
「よし、じゃあ今度はお前だ。順番だぞ。」と呼ぶと躊躇無く寝て洗わせた。作戦成功だ。シャツは結局濡れてしまったけれど。
(2004/3/2)






骨折は三角巾で吊って固定

 上腕の上の方を骨折(ヒビ?)したのだけれど、ギプスで固めたりはしない(できない?)で三角巾で吊って、バンドで固定しただけだ。でも娘は言っても解らないし、はずしたくてしょうがない。
 最初の時はパンスト(^^;)みたいなので、吊っていたのだが、あっという間にかってにはずしてしまった。次の日は医者が「じゃあ、テーピングしてしまいましょう」 と固定したらしいが、そんなん、甘いよ、すぐにぺりぺりはがしてしまったらしい。 また医者まで行って(毎日のようにご苦労さんm(_ _)mペコリ)結局三角巾とバンドで 固定しているが、やっぱり気に入らなければすぐはずしてしまう。うーん。骨、ちゃ んとくっつくんだろうか?いまは痛がらないでいるけれど、また夜中にぎゃーぎゃー 言わなければいいのだけれど、、、
(2004/3/6)





 その後次女の骨はくっついていたようだ。でも「少し曲がってますねえ」σー_ー;
 成長と共に直るだろうと言うことで、まあ一安心。縦横無尽に動かしていて、まあ 痛くないんなら、いいか、、、、子どもは勝手に動かすからリハビリもいらないんだそうだ、、、




娘は「なっとらー」

 次女は「なっとらー」なのである。ナットウだけでずるずる食べる。納豆ダイエットをしているわけではないが、食べ物を要求すると妻が納豆だったらいい、と言うので、ま、同じようなもんか。少し痩せてきた、と言うのだけれど、そうかなあ、乗られると重い!これで1週間分くらいか。食べ過ぎと言うことはないのかな。

(2004.10.22)





次女の作ったオブジェ

ナットラーの次女がベランダに作った(いつの間に?)オブジェ
 いったいなんなんだろう?
(2004.10.25)





獣ののように養生する

 ここ何日か次女の様子がおかしかった。いつもあれだけの食欲なのに、あんまり食べない。昨日だったかは、学校を休んで「朝、おかゆを三口 しか食べないんですよ。」と言ったら、担任が「それはたいへんだ」と言っていたらしい。(^^;)
 夕べもほとんど食べずに、寝ていた。今朝は医者に連れて行こうと話していたのだが、今朝は回復している。どうしたんだろう?傷ついたり、病んだりしたオオカミかなんかが、じっと丸まって治るのを待っていたようだ。お昼はぱくぱくたくさん食べて、今はまたぐーぐー寝ている。やっぱり、相当何かが悪かったんだなあ。感心。
(2007.12.15)





次女の絵

 色合いがなかなかいい。
 何を申し上げようと言うのだろうか?(^^;)
 「世」って?「世界征服」って教えよう、と長女が言うのだが、、、
(2008.1)







次女の知能検査

 次女は3月まで隣の学区の中学に通っていて、そこを卒業して4月から県立養護学校に通っている。(4月から名称が「特別支援学校」と なったらしい。別にいいけど、こういう名称変更になにか欺瞞を感じてしまうのは僕だけ?)

 3月までは隣の学区の中学の特殊学級で毎日妻が車で送り迎えした。3年間ご苦労様でした。今度はスクールバスで通っているのだが、 バス停まで、歩いて15分、やっぱり、妻が付き添っていってバスに乗せ、放課後引き取るのだ、やっぱりご苦労様。

 水曜日、年次有給休暇を取った。ためしに次女を送っていった。普段、歩くのが好きとは思えないのだが、歩くものだと思えば(まだ数日だが)歩くんだなあ、僕よりも速いくらいのペースで、ずんずん歩くので感心した。

 次女を送って、今度は次女が定期的に診てもらうようになった国立の知的障害児施設まで、前回検査した結果を聞きにいった。検査したのはK-ABCとか言う知能検査で、担当の先生の説明もキチンとしてい、面白かった。次女の知能は4,5歳と言うところらしい。もっともスリットから絵の一部しか見えないのを見て何の絵か当てるのは年相応(15歳)の能力があるらしい。要するに日本語能力がないんだよなあ。

  検査をしているところのヴィデオのDVDをもらって後で家で見たが、面白かった。表裏、色の違う三角のブロックを数枚使って、示された 図形を作る検査。ごく簡単な図形のときは普通に見本を見ながら作っていたのだが、難しくなってきたら、あっちを見ながら手元で図形を作るのは難しいのか、めんどくさいのか、見本(見本は見やすいようにか、机の上に斜めに立ってるのだ)の上にブロックを乗せて形を作り(落ちないように両手で抑え)それから、ずりずりずらして机の上に持ってきて、形を整え完成!。はっはっは、頭いい!と感心してしまった。

 帰宅途中、デザートが有名らしいパスタ屋でおなかいっぱいになって、帰宅して軽く昼寝。今度はまた学校に行き、部活見学会を見学した。4月年度始めでどの部活動に参加するのか、親も一緒に見学なのだ。次女はゲームのなんたるかはわかっていないので、運動部は無理だろう。やっぱりダンス部か太鼓部かなあ。終わった後、今日は親と帰宅、今日もやっぱり買いものは日課なのだ。

 これから3年間お世話になります。それでも親としては3年後、学校を卒業したら、今度はどうなるのだろうかと思ってしまう。一番順調?なのは企業の障害者枠で就職でもできればいいのだが、それだけの能力が(次女なのか、それとも企業のほうなのか知らないが、)あるだろうか?
(2009.4.18)







次女を送って職場へ

 金曜は、妻は長女と病院に行くというので、次女をバス停まで送ってから仕事に行った。
 いつも妻と歩いているが、昨日は僕も仕事に行くので、自転車を転がして次女と歩いた。はじめは自転車があるのがいつもと違う、と感じているらしく、なんとなく様子が違う。途中で、自分もやりたくなったらしくて、自転車のハンドルに手を添えて歩いて行くのだ。おもしろいなあ。なんでも様子を見ていて、そして自分もやりたいのだ。
 自転車に乗れるようにしてやりたい気もしないでもないが、それでなくても自閉症児は脱走しやすい。うちのも一度脱走して、パトカーに乗せられて帰ってきた。自転車に乗れるようになるとどこまで行ってしまうか。恐ろしくて乗せられない。
(2009/6/13)




次女の卒業式

 今日は次女の卒業式。もう最後だろうとも思い、両親で参加してきた。
 それにしても体育館の寒いこと。親にとってもとても寒いくらいで、子どもたちにはなかなか厳しいものだったが、よく我慢していた。またひとりひとりが赤い絨毯の上を歩いていていって校長先生に証書を渡してもらうのは、なかなか良いものだった。
 でも、こういった儀式って本当に必要なんだろうかねえ。証書を渡すのは良い、証書の意味もわかっていないだろうけれど、何かもらう、そこに儀式がある、子どもたちにもほんの少しの意味はあるだろう。でも校長の式辞はいらないなあ。
 最悪だったのが教育委員会の特別支援学校課とかなんとかのバカヤロー。こともあろうに、健常だったのに事故で障害を負って車いすの生活を余儀なくされても前向きに生きるなんとかさんの話。うちは知的障害の学校なのだ。卒業式に行って祝辞を述べるのにその学校がどういう学校か、調べもしないで来たということだ。調べるって言ったって、県の教育委員会のヤロウが県立の学校に行くのに、調べないって、どういうことだろう。こういうのが教育委員会なんぞやっているのだから、教育がよくなるはずがない。
 来賓紹介も祝電披露もいらないなあ。でもその後の、在校生と、それを受けての卒業生のの一言ずつのメッセージ、卒業生へのメッセージビデオ。みな、なかなか良いものだった。
 でもそれも、本当はこういう四角四面の儀式の中でなく、後でやった卒業を祝う会のような、もうくだけた中で、あれは誰それちゃんだとか、修学旅行は良かったね、とか親同士、あるいは子どもも交えて和気あいあいとやれば良いんじゃないだろうか。

 ともかく、次女の、12年間の学校生活は終わった。学校の先生にはずいぶんお世話になりました。スクールバスの運転手さんにも挨拶ができた。4月からは市内の作業所に通うことになる。どんな生活が待っているのかな。

 写真は今日返ってきた次女の描いたシーサーの絵。





次女の卒業式。

 問題?は卒業証書授与の時のBGMなのだ。
 最初にかかったのは、えーとこれは。
バッハのカンタータ106番 美しい音楽だ。少なくとも笛吹きにとってはとても有名な、リコーダー2本とヴィオラダガンバのためのもので、静かな落ち着いたなにしろ美しいメロディーだ。けれど、これ、葬式の音楽なんだよなあ。卒業式に葬式の音楽って、、、まあ、僕以外誰も知らないんだろうけどなあ。
 次がドビュッシーの「月の光」。これも美しい音楽だ。個人的にもとても好きだ。。でもさっきのバッハの時にいろいろ考えてしまって、影響を受けてしまったんだろう、これって卒業式にふさわしいのかなあ。綺麗なんだけどねえ。
 続いてバッハの「人の望みの喜びよ」これは良いと思う。
 そして、マーラーの5番のアダージェット。きれいだなあ。涙が出るほど綺麗で、おセンチで、このあいだ、この音楽はマーラーが恋人に捧げたようなことを読んだけれど、こんな暗い(え?暗くない?落ち込むような音楽だと思うんだけどなあ)音楽、捧げられて女性は嬉しいんだろうか?
 いや、良いんですよ。文句を言うようなものじゃありません。みな、きれいな、静かな、式典にふさわしいのかもしれない音楽だ。式典の音楽、とかなんとかそんなCDでも使ったんだろう。たまたま僕が葬式の音楽だと知っていたのと、まあ僕の感覚がずれているのが不幸だった。ここにいる100人を超える人の中で、こんなこと考えてるのは僕一人だろう。よけいなことを知ってると不幸だなあ。
(2012/3)























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